理系大学院生タクヤ

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【短編小説】球拾いだった高校球児が最後の夏ベンチ入りを果たした逆転ストーリー(実話)

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僕は高校時代、硬式野球部に所属していた。

 

強い高校ではなく公立の進学校だった。

 

進学校とは言っても1学年400人いて学校全体では1,200人ほどいるまあまあ大きな学校で野球部にも1学年15人は入るような高校だった。

 

私の学年も16人とマネージャー1人で合計17人入っていて部員全体では45名ほどいた。

 

正直公立高校進学校ということで野球に力入れてないだろうと思い、結構楽観視して部活に入った。

 

しかし部活に入るとその気持ちは一変した。

 

最初の体験で11人の先輩部員が高い意識を持って練習に取り組んでいて先生も熱心に指導されていた。

 

グラウンドはサッカー部や陸上部と共同の場所で場所としては広くなかったがゲージバッティングネットバッティングマシーンなどあらゆる器具が揃っていた。

 

そんな僕は中学校の頃からピッチャーをしていたこともありなんとなくピッチャーをやることにした。

 

しかしながら僕は左投げだが小さく力もなくたまも遅い。

 

何一つとしていいところがなかった。

 

入部当初、我々1年は外周をしたり体幹トレーニングしたりと基礎体力トレーニング中心だった。

 

また、先輩の練習の補助などもした。

 

一部の上手な1年は A チームで練習するが僕みたいな下手な1年は基礎体力トレーニングそれしかやっていなかった。

 

中学の部活を引退してからかなりのブランクがあり最初はかなりしんどかった。

 

しかしながら最後の夏の大会が近づくにつれてその生活にもだいぶ慣れてきた。

 

そして大会当日、僕が1年の夏の頃である。

 

大会当日灼熱の太陽が降り注ぐ中僕はスタンドにいた。

 

メガホンを持って3年生や2年生がグランドで熱い戦いを繰り広げられているのただただ叫んで大声で応援していた。

 

しかし相手は強豪私立でプロ注目投手もいた。

 

そして結果は無残にもコールド負け。

 

それもサヨナラホームランというおまけ付きだ。

 

僕は先輩たちの涙を見て高校野球の厳しさを知った。

 

それと同時に練習を頑張らなければと思った。

 

僕もベンチに入りたい、グラウンドで戦いたい、その一心で。

 

3年生が抜けると今度は残った1、2年生が中心の練習となった。

 

今までろくにボールも触れてない僕たちが練習に入れるというので僕は嬉しく思った。

 

そして、我々の練習が始まった.。

 

最初のキャッチボールで僕は顧問から声をかけられた。

 

お前横から投げてみないか。と。

 

僕は今までずっと上から投げていた。

 

玉も遅いし特徴のない僕に顧問は特徴をつけため、サイドスローの転向を進めてきたのだ。

 

その時、僕はサイドスローかっこいいと思っていたのもあり、すぐに投げてみた。

 

すると、いいじゃんと言われ僕はあっさりとサイドスローになることを決意した。

 

これで試合に出られるのならそれでいいと思った。

 

しかしながら、慣れない投げ方と慣れない硬式ボールのせいもあって練習することに肩が痛くなってきた。

 

キャッチボールもしんどく、やりたくない、そう思うようになった。

 

そんな中、我々の最初の大会が10月に行われた。

 

1年生大会だ。

 

僕らの代はピッチャーが僕含めて二人。

 

右のエースのピッチャーがいた。

 

初戦は公立高校で同じような高校だ。

 

試合は接戦でロースコアで進んでいた。

 

そして僕は終盤で出番が来た。

 

そこで僕は1点取られたもののピンチを脱することができた。

 

その後、また先発のピッチャーをマウンドに戻した。

 

最終的には試合はロースコアで負けてしまったが初めての試合経験で非常に楽しかった。

 

もっと練習してチームの力になりたい、そう思った。

 

この大会を最後に地獄の冬練が始まった。

 

インターバル走や筋トレメニューの毎日となった。

 

高校初の冬練は中学の頃とは比較にならないほど辛かった。

 

そんな時も僕は肩の痛みを誤魔化しながらやっていた。

 

そして2年の春、いよいよ新しいシーズンが到来した。

 

2年の春の大会も僕は当然ベンチに入ることはできなかった。

 

ピッチャーは1個上の先輩にいいピッチャーが二人、僕の世代のピッチャー含めて3人でまわされていた。

 

僕に付け入る隙はなかった。

 

玉も遅く、コントロールも良くないピッチャーが入れるわけがない。

 

僕はどうやったら入れるベンチに入れるようになるかずっと考えていた。

 

肩が痛いのもあり色んな整骨院を試したり、いろんな治療法を試したり、試行錯誤をしていたが一向に治る気配はなかった。

 

それと同時に新1年生も入ってきた。

 

人数がまた45名ほどになった。

 

練習試合では出場機会を増やすためにAチームと B チームで分かれての移動が多くなった。

 

もちろん僕は B チームだ。

 

しかし B チームでも制球が定まらなかったり打ち込まれたりと全然アピールすることができなかった。

 

本当につらかった。

 

何度もやめたい、そう思った。

 

しかしながら一度やると決めたので最後までやりたかったし、周りの友達面白い人も多かったし、仲も良かったのでその関係を崩したくはなかった。

 

その頃から僕は打者に興味を示すようになった。

 

ピッチャーは基本バッティング練習、そういったものにも参加はできず、ピッチング練習をするか筋力トレーニングをするか走り込むことしかできなかった。

 

そうしているうちにあっという間に月日は流れ夏の大会がやってきた。

 

もちろん夏の大会でも僕はベンチ外でアルプススタンドにいた。

 

今年のチームはかなり仕上がっていて、初戦2回戦と順調に勝ち進んだ。

 

我々のチームは初戦負け、2回戦負けなどが多く悔しい思いをしてきた。

 

しかしその年は久しぶりに県大会出場が見えてきた。

 

その大事な試合、僕は応援していたが緊迫とした投手戦となっていた。

 

そして最終回僕の同期である友達が見事サヨナラタイムリーを打ち県大会出場を決めた。

 

それを間近で見ていた僕は嬉しかったのと同時に僕もその場に立ちたいという思いがより一層強くなった。

 

しかしながら県大会出場所戦で強豪私立にコールド負けしてしまい、夏の大会は終わった。

 

そしていよいよ僕らの代が来た。

 

そしてすぐに秋の大会が始まった。

 

そこに僕はベンチで入ることができなかった。

 

本当に悔しかった。

 

多くの同学年が名を連ねる中、僕はスタンドにいた。

 

肩が痛いという言い訳もあったが本当に今までで一番辛いスタンドでの応援だった。

 

その秋の大会はすぐに負けてしまい、また春夏に向けての特訓が始まった。

 

そのとき、僕は大きな変化をしようと考えていた。

 

このままピッチャーを続けても道は開けない、思い切って打者に転向してみよう。

 

僕はそう思った。

 

そして2年生の秋、意を決して体育教官室に行って直接顧問に直談判した。

 

その時の顧問の反応は打者に変わっても厳しいぞという意見だった。

 

当然だ。

 

2年の秋に急に野手転向しても周りとの差は既に大きく開いてしまっている。

 

しかしながら僕の意見を飲んでくれその日から外野手に転向することになった。

 

今まで参加できなかった守備練習や打撃練習に参加することができ、野球の楽しさを改めて知った。

 

朝練習に参加するようにし、遅れを取り戻そうと頑張った。

 

しかしながら相変わらず力が無い僕はどうしたら生き残れるのかベンチに入れるのかそればかりを考えていた。

 

その時僕はふと YouTube である動画を見た。

 

それは当時2年前に甲子園で大ブレイクした花巻東高校の千葉翔太選手だ。

 

彼は身長158cmという小柄な体格ながら甲子園で大活躍をした。

 

僕はそれを見て本当にかっこいいなと思った。

 

普通小さいということで諦めがちだがその体で立ち向かう姿は圧巻だった。

 

彼のプレースタイルは何としても出塁する、そしてはつらつとしたプレー、そう僕の目には映った。

 

フォアボールでもいいから何とか粘って出塁する。

 

そして守備でははつらつとしたプレー、ここだ、ここを目指そう、そう思った。

 

彼のプレースタイルについては賛否両論あったが、僕は自分を貫くことが大切だとそう感じた。

 

そして僕はその日からファールを打つ練習し、塁に出る技術を磨いていこうとそう感じた。

 

僕は小さいからストライクゾーンが狭く、フォアボールを取りやすい。

 

だから僕はそこにフォーカスした練習を進んでやっていこう、そう思った。

 

普通に戦っても周りのレギュラーの選手たちには勝てない。

 

僕が周りのライバルを蹴落とすためにそれしかない、そう考えた。

 

最初は紅白戦や練習試合においても2ストライクに追い込まれて、三振してしまう場面が多かった。

 

しかし、僕はそれに屈することなくなぜ僕は三振してしまったのかそれだけを考え練習で試行錯誤をした。

 

2ストライクから投手が嫌がるバッティングそこを目指し、ボールを引きつけてバットにしっかり当てることだけに注力した。

 

それを意識してティーバッティング素振りなどの練習を行った。

 

すると僕は冬が明け、春前の紅白戦でやっと芽が出るようになってきた。

 

そこの紅白戦ではアピールの絶好の場だ。

 

僕はその場で伸ばしてきた僕のバッティングスタイルを遺憾なく発揮し、顧問にアピールすることができた。

 

しかし、そのアピールも虚しく春の大会ではベンチ入りを果たすことはできなかった。

 

そして残すは夏だけになってしまった。

 

もう時間がないどうしたらいいかはそれだけを考えていた。

 

このスタイルを貫き通し顧問を振り向かせる、それしかない僕はそう感じた。

 

必死に練習し、毎朝ティーバッティングした。

 

その結果、春の練習試合でも A チームで途中出場ができたり2試合目の先発出場ができたりとどんどん出場機会が増えてきた。

 

僕のバッティング、逆方向に打つ打球や2ストライク追い込まれてからの粘り強さが確立されてきた。

 

徐々に評価されるようになっていた。

 

そして周りにベンチからも僕がファールを打つ事に盛り上がるようなそういった風潮が出てき始めた。

 

そして顧問の評価はどんどん上がり、高3最後の夏の大会が近づいてきた。

 

レギュラー選手はほぼ確約していたのでレギュラーにはなれない。

 

しかしながら、ベンチ入り当落線上にはたくさんの選手がいて熾烈な争いだった。

 

僕もその中の一人だった。

 

そしていよいよ最後の大会のメンバー発表。

 

監督から背番号が一人一人を渡されベンチ入りメンバー20人が決まる。

 

1番からどんどん発表されていき、14番15番16番と枠が減っていた。

 

そして17番。

 

ついに僕の名前が呼ばれた。

 

めっちゃ嬉しかった。

 

そしてホッとした。

 

僕はその背番号の重みを身にしみて感じた。

 

しかしながら、20人の名前が呼ばれたが3年生の中にもベンチに入ることが出来ない人もいた。

 

相当悔しかっただろう。

 

3年間この日のために頑張ってきて最後入ることができなかった。

 

僕も何度も悔しい思いをしてきたのでその気持ちが痛いほどわかる。

 

僕はそんな人たちのためにも一生懸命努力してチームの勝利に貢献しようと頑張ることを決意した。

 

そして夏の大会の初戦、僕はベンチスタートだった。

 

そして試合は緊迫した投手戦で接戦となった。

 

そして僕は5回に出番がきた。

 

先頭のバッターに代わり、代打での出場だ。

 

僕は最近先頭バッターとしての需要が多かった。

 

理由は出塁することだ。

 

出塁してチャンスメイクをする。

 

それが僕の仕事だった。

 

相手エースは直球130キロぐらいのストレートがあり、攻めあぐねていた。

 

僕は緊張したが、バットを短く持ち、小さく構え深呼吸をしボールに集中した。

 

初球はボール、次はストライク、ファールとボールで2エンド2。

 

ここからが僕の本領発揮だ。

 

ファールでの粘りを見せつけた。

 

審判さんに注意されたが、ここでスタイルを変えることはできないので自分のスタイルを貫いた。

 

するとピッチャーの制球が乱れ見事フォアボールを獲得することができた。

 

めっちゃ嬉しかったしベンチが盛り上がっている。

 

そしてスタンドが盛り上がっているのも感じた。

 

そして、これを起点に打線が爆発し5点を取るビッグイニングとなった。

 

僕は2打席目一巡してもらってきたが三振に倒れてしまった。

 

この点は大きい行けるぞという雰囲気が漂った。

 

しかし、そこからじりじりと追い上げられ最終回2点差になった。

 

7対5だ。

 

最終回、我々がリードしているはずなのに追い込まれていると感じた。

 

あっちは押せ押せムードだどうにかして逃げ切りたい。

 

しかしながら、最終回9回の裏、無性にもエラーが重なってサヨナラ負けをしてしまった。

 

野球生活も終わりかそう思った。

 

幼い頃から続けてきた野球辛いことや悔しいことそんなことばかりが続いたが、最後も悔しい形で終わってしまった。

 

でも僕に悔いはなかった。

 

あの苦しい状況から脱却し、一緒にグラウンドで戦うことが出来、なおかつ自分の仕事を全うすることができた。

 

僕は非常に充実した野球生活だったと感じることができた。

 

本当にありがとう野球、ありがとうみんな。

 

これからの人生も自分の得意を伸ばし、苦難を乗り越えて行きたい。

 

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参考

高校野球 - Bing images